部屋の掃除してたら
いろんなもんが出てきた。

あ、ちなみによくさまざまな誤解を受けるんですが
あたしゃ、これみよがしの善意や奇麗事並べた慈善活動なんかクソっくらえと。

善意とかなんかでなく
・・・・
・・・・文字で説明できん(_ _)
誤解生むから、書くのはやめよう。

知り合いにリアル軍モノFPS
リアルでバイオハザードやってる人間いたんで
(生きてるか~?)
それから比べたら、そうとう安全な私の海外旅行の中で
数年前、同行させていただいた
JMAS(日本地雷処理を支援する会)の地雷撤去
カンボジアの争乱期の遺物
地雷爆破処理のときにもらった、地雷の破片。
地雷の扱いの粗さ?と
C‐4プラスチック爆弾&爆破をはじめて見た日。
このさらに10年くらい前だけど
トカレフだレボルバーだの撃ったのもカンボジアだったなぁ。
「ロケットランチャー、手榴弾はいいのかい?」
の誘いは、丁重にお断り。

小競り合い後のそんな時代。
さすがに、トンレサップ湖移動中に
ロケットランチャーが飛んでくることはない安全な時代だったけど
宿前で銃乱射あったり
そんな時代にまだあった赤線地帯
地雷被害者、孤児、貧民、腐れ公務員(今もあんまり変わって無いか(^^;))
赤土、エトセトラ。

非道、外道、強者の論理の中で翻弄されながら
末端まで国民が潤うことなく
『かわいそう』なんて言葉でほいほいほだされる裕福な国の人と
下層階級の実情。
あいかわらず、カンボジアは
ある意味先進国と貧困国とグローバル世界と
国際援助の流行と衰退と実情を表す
現代の縮図の一つだなと。

危険度は、あのころや地雷を踏んだらサヨウナラから比べれば
格段にましにはなったし
主要都市の発展はめざましい
(はじめてシェムリアップ&アンコールワット行ったときは
 ツアー客なんておらんかったよ。
 先日テレビで見たけど、なんじゃあの観光地は!!)
かつてプノンペンの赤線地帯だったところには
2006年当時、中華街?が建設されてたがどうなったかな?


そして昔からなぜか猛烈に行きたくて
ベングリオン空港のチェックがめんどいと聞いてたので
エジプト側から入ったら
イスラエルでなくて滞在してたエジプト側で自爆テロがあった(帰国後ですが)
イスラエル旅行のときのお土産と、嘆きの壁と岩のドーム。

嘆きの壁とにかく行ったなぁ、意味なく。
「へ~~~」
と人間社会の視点に置き換えて
おもしろく見てた。

どこの国の観光客か知らん人の記念写真とったげたり
某半島の宗教○○○団体の悪行についてドイツ人からとくとくと聞かされたり
紛争学専攻の学生さんとディスカッションしたり
宿のアメリカ人から
何のニュース見てるときだったっけな?
「F○○k´in CNN」
とねばっこく言われた面白さもこのときだったし
ドイツ人と動き回ったのもこのときだったなぁ
やさしかったなぁドイツ人2人。
私がドイツ語わからんから
ハッと気づいて
わざわざ英語に切り替えてくれたし。
あのときの顔は忘れない。
ああいうのが、価値を同じくするお互い理解しあえる人の顔だなぁと。

時間がなかったので
ラマラまでしかいけなかったが
カランディアの検問所、分離壁越えてラマラまで行き
迷いながらアラファトの墓(建設中)いったり
地元の権力者?から道聞いたり

(しばらく道を案内してもらいながら同行
 有名なんて真に受けずにいたら
 その間、 町中の人からかなり声かけられていた
 誰だったんだろうあの人、けっきょく?)

その道すがら
なぜか地元の学生引き連れての大名行列になり
町の人との会話
町の人「お前は中国人か?」
わたし「アナ ヤバーン(日本人だよ)」
町の人「 日本人か、ようこそラマラへ(握手)
 中国人だったら殺してるところだった
 (↑これはホントに言われたこと、冗談でチャイニーズって言わずに良かったわ)
町の人「お前はハマス派か?ファタハ派か?」
とか、安定してるようで
いつでも崩れる微妙な時期だったので
まあ困ることを聞かれたわぁというのを思い出す。

テルアビブからエルサレムまでのバス移動時
軍人さん隣りで
帯銃(銃火器詳しくないんで、なんか大きいやつ)
寝ててなんか痛いなぁと思ったらごりごりあたってて
「あんたの銃があたって痛いて」
って、つい日本語で突っ込んだり
バスの中で、宗教と
あんまり知らんのだけど
キッパ?をかぶった
ウルトラオーソドックスつうの?
超宗教派ユダヤ人のアレ何、布教?に
怪訝な顔の地元民の困惑も目にし
マンガ『ナルト』について
たぶんインド系移民の女の子とバス停で話したのもこのとき

(ナルトって、英語でなんて説明します?
 そのときは電子辞書でメイルシュトローム的な言葉で
  日本にはそれで有名なところがあってね
  みたいな説明したような(^^;) 
  ナルトだけに、あのナルトがマンガの中で食べてるヌードルの具
  でも良かったのかしら?
  英語で日本を説明って、難しいねぇ
  日本を知らない日本人・・・・ふぅ(‐。‐))

エイラットのバス停で
何人か知らんけど、明らかに白人の浮浪者がいたり
バスで移動中、ドナリエラの工場見えてなんか笑ったり。

ガザなどのゲートの現状の情報交換が
夜の熱い話題だったり
某ニポンのだぎゃーの地方の新聞社辞めてきた人の
うっとうしい平和論聞かされたり。

エルサレムの町を夜普通にマクドで(入り口に帯銃のガードマンはいたけど)
飯食ったあと散歩。
歴史的建造物以外は
なんというか住宅街は、山形市の蔵王見晴らしの丘とか菅沢団地みたいで
ごくごく当たり前の、普通の町。
へ~となんと面白かったり。

それらの写真の多くは
エルサレムのダマスカスゲートに置いてきました。
(写真とって、知り合いと座って話してて
 そのまま置き忘れてきた・・・たくさんの写真や動画は思い出の中)

独裁者好きの独裁者否定
宗教好きで宗教大嫌い

ビビリでビバ安全!が好きだけど
好奇心がある限り、ホンキの戦地で無い限り
自己責任で対応できる限り
どこへでも行きたくなった心。
(へタレなんで、安全なとこしか行って無いですよね未だ(^^;)
 ネジミエ・ホッジャとネズミ講を求めアルバニア
 フランシス・デュバリエと後の農業失策を見にハイチ(地震前)
 イランもいいね、今のパスポートではイスラエルのスタンプあるから入れないけど(_ _)
 中東も全部回りたいなぁ、バーレーンとイエメンがいい
 あと、主要都市以外のイスラエル
 山形国際ドキュメンタリー映画祭でもあった
 『ルート181』
 と
 『ガーデン』 
 見て、面白いなと。
 えらい面白かったよこの2作品。
 個人的には、私の宗教観文化観もあり
 表に出ないものの姿、知られない実情と
 ルート181がパレスチナ、イスラエル両監督の作品という面白さと
 ガーデンはイスラエル国内の若いアラブ人男娼2人の物語という特異さ
 この2作品により、ユダヤ、アラブ両方への加担なき
 事実認識と批判と問題点が
 私の中でより明確になったかな。 
 あと安全だけどフィンランドもずーーーっと行きたい国、とか
 いきてぇなぁ・・・)
そのどこへでも行こうとする心を
懐かしくしみじみと眺めてしまった。

昔から
なんかことあるごとにでてくる、自分の中の言葉
それを思い出す。
熱き心
ふむむむ。