まあ私はとにかくひねくれものなので
というわけではないですが
『一日に一回ありがとうと言おう』
みたいなことの自己啓発的な言葉が
表面的につたわることにはイライラするわけで。
上っ面、本質的でない、ということにはかなり敏感なもので(^^;)
ただ、仮にそのありがとうが『心から』になるのであれば
それは本当に社会にとって、また難しく考えなくても
自分たちにとっても良い流れが作れるだろうと思ってまして。

上辺のありがとうなんかいくらあってもつたわらないですし
この点に関しては、以前教育関係の方と話したときに出た
『子供にあいさつをさせるのはいいけれどなんのためなの?』
という言葉が非常に印象深く残ってますし、つながる話ではあります。

まあ言ってりゃそうなっていく、ってのもまた一つの真実でもありますけどね音符

それがなぜありがたいのか?またそこまででなくても
それを当然と思わず、自分の持つ困難が解消されるものがあることへの
『心からの感謝』
それがあれば
けっこう苦労や苦痛に感じることでもなんとか我慢できてうれしさにもなってしまう
というのも『人』の持つ真理で何かを構築するに当たって大事なことだろうと。

やれ法制度とかじゃあ金どこにあんの!?・・・とかでなくても
なにかしらのより本質に適したシステムが作れるのでは?と思ってます。
そのためには、現教育制度、現社会の流れで成長した子供や大人では苦しいなど
そこにまで考えは至りますが、それはまた別の機会に。
プロ育成と人間的深みのある人の創造。
たぶんこの点で、社会システムと法整備と予算とうんぬんと
と悩むのかなー。

もちろん、最近の社会の一部分で見える
『ありがとうと思うことがすばらしい』
みたいな、ある言葉や理念を盲信すればなんでもステキ♪ということや
そればかりバカ、の傾向は大嫌いです。

反面、もちろん
すぐに自分の権利!損しないように猛烈な自己防衛!裁判だ!批判だ!
も嫌いです。
人への感謝の本質的部分と素直さと、おかしさにNOと思いそこには断固として戦う
それがバランスよくできれば、こんなにステキな社会は無いのになー
・・・・っと猛烈な理想論(^^;)

日本の国民の皆保険制度は奇跡だ
という話もありますが
その制度の上に、また比較的最近まで相互扶助の社会をある程度構築できていた国。
経済危機での閉塞感が全てを覆うような昨今ですが
なんともならないことも多いですが
でも、なんだか面白く、良い塩梅にしていける
そんな発想を持つ私でございまして笑顔