『人はおいしいものを食べると幸せになる』
という言葉があるが
私はそれよりも
『人はおいしいものを食べると、疲れが取れる』
の言葉をおしたい。
前回のポテサラのことがあったのであれだったが
やはり美味い、大好きだ(*´Д`*)
hissyに誘われ大蔵村の権現さん。
迷いドライブ、初肘折温泉街を眺めつつ
(今度ゆっくり来よう)
昼の混雑過ぎにこんにちは。
本日は、といってもメニューは基本ひとつなので
厳神権現蕎麦(ふつう盛り)を。
前回の反省というかなんというかで
ポテサラは最後に回すことに。
自家栽培自家製粉の最上早生の十割りうちのそば
水そばをすすり、本日のそばの味と水を味わう。
ああ・・・・美味い・・・。
そばのコシはちょうどよく、香りたち
水は滑らかにそばのうまみに色を添える。
そばのおいしさはもちろんだが
水が美味い。
滑らかに入り、柔らかく口中を潤し
そしてほのかな甘みも感じるような
そんな軟水は
人間が水でできていることをつくづく思わされ
またそのうまみを感じられることが幸せになる。
これだけで
ものすごいご馳走
身体の芯からきれいになったた気持ちで
それでは、そばをいただきまする。
あぁ・・・・
すすった瞬間に、ツユと絡んだ味と風味が五感を刺激し
脳と身体を一瞬にしてふるわせる。
自分の中の描くそばのうまさの歯車と
身体に入ってきたそれが与えるうまさが
ピタリと噛み合い
ゆるやかに確実に、自分の中の感動と満足の回路をまわす。
過度な刺激性や、きわだった個性などはない。
ふつうのような蕎麦。
しかしながら
安心し欲するがまますすり
細胞がワイワイと喜び
ゆっくりとした自分の中の小さな変化
自然と内側から出てくる言葉
「うまいなぁ」
やっぱりここのそばは、うまい
自家製のそばの説明はあるが
(説明 クリックで大)
節が~産のなどの、ウンチクじみた派手なうたい文句はなく
コンビニを改装した店内
雰囲気を食わせるような店でもなく
そばと、その食材の美味さをストレートに味わえ
そしてそれがおいしい
華美さや、疲れるようなこだわりや
『言葉』を食わせられるのにはうんざりしてたが
それがなく
素材がうまく
純粋に味わえる
それって
やはり素晴らしい
派手さは無いし、香りたつ鰹節とかの
わかりやすさでなく
一見ふつうの見た目なのだが
ふつうのようで、強烈なインパクトというものではなく
なんというか
静かな面持ちのその先
それぞれの奥の奥の素材のうまみがしっかりとしていて
なおかつそれらのバランスよく
お互いを引き立てあって、最高のそばとしている。
それは前回最初に食べ、不満だったポテトサラダもそう。
そばを純粋に味わったあと
ポテサラだけを食べたが
野菜のうまみがかなりしっかりしていることに気づく。
ふつうなのである。
ただ、ものすごい奥深いうまさ。
「このふつうを作り出せ」
と言われたら
かなり難しい、そんなうまさなのである。
出すぎず、引きすぎず
わかりやすさに逃げず
素材を活かし
抑えた中で、美味しさを出す。
そうそうできるものではない
甘みは抑え目で
そばにあった、ちょどよいツユにつけ
香りあるそばをすすりはじめたら
もう会話すら忘れる。
私の身体が本気で欲している、素直な味。
まじめで淡く、しかし凛とした強さを持った間違いの無いそば。
そのしっかりとした味の芯が
そのうまさが
心と身体を、素直にまっすぐにしてくれる。
満足して食べきり
蕎麦湯でさらに身中を洗い
甘い小豆のデザート
それで舌をさらに喜ばせて
そば茶で、最後のリラックス。
米農家の主人
明るい奥様など
そばだけでなく、ホント、人としての力をもらえる。
まさかこんなおいしいそばが食べられるとは思わない
田舎のコンビニ改装そば屋&簡易郵便局。
おいしかった・・・・・
こういうお店があるから
食べることを信じていける。
また来ます
PS.もちろん人によりますが
わたしとしては
純粋にそばを味わうのであれば
ポテサラの酸味や油が
ツユや全体の風味を減退させぬよう
ポテサラを最後に食べるのをお勧めします。
ポテサラのふつうだけどうまい味わいも良いので、ぜひご堪能を。
このポテサラをつまみに酒を飲みたい(^^;)
・その1
・その2
・その3 ポテサラは合わないよ・・・・
・権現蕎麦 800円
という言葉があるが
私はそれよりも
『人はおいしいものを食べると、疲れが取れる』
の言葉をおしたい。
前回のポテサラのことがあったのであれだったが
やはり美味い、大好きだ(*´Д`*)
hissyに誘われ大蔵村の権現さん。
迷いドライブ、初肘折温泉街を眺めつつ
(今度ゆっくり来よう)
昼の混雑過ぎにこんにちは。
本日は、といってもメニューは基本ひとつなので
厳神権現蕎麦(ふつう盛り)を。
前回の反省というかなんというかで
ポテサラは最後に回すことに。
自家栽培自家製粉の最上早生の十割りうちのそば
水そばをすすり、本日のそばの味と水を味わう。
ああ・・・・美味い・・・。
そばのコシはちょうどよく、香りたち
水は滑らかにそばのうまみに色を添える。
そばのおいしさはもちろんだが
水が美味い。
滑らかに入り、柔らかく口中を潤し
そしてほのかな甘みも感じるような
そんな軟水は
人間が水でできていることをつくづく思わされ
またそのうまみを感じられることが幸せになる。
これだけで
ものすごいご馳走
身体の芯からきれいになったた気持ちで
それでは、そばをいただきまする。
あぁ・・・・
すすった瞬間に、ツユと絡んだ味と風味が五感を刺激し
脳と身体を一瞬にしてふるわせる。
自分の中の描くそばのうまさの歯車と
身体に入ってきたそれが与えるうまさが
ピタリと噛み合い
ゆるやかに確実に、自分の中の感動と満足の回路をまわす。
過度な刺激性や、きわだった個性などはない。
ふつうのような蕎麦。
しかしながら
安心し欲するがまますすり
細胞がワイワイと喜び
ゆっくりとした自分の中の小さな変化
自然と内側から出てくる言葉
「うまいなぁ」
やっぱりここのそばは、うまい
自家製のそばの説明はあるが
(説明 クリックで大)
節が~産のなどの、ウンチクじみた派手なうたい文句はなく
コンビニを改装した店内
雰囲気を食わせるような店でもなく
そばと、その食材の美味さをストレートに味わえ
そしてそれがおいしい
華美さや、疲れるようなこだわりや
『言葉』を食わせられるのにはうんざりしてたが
それがなく
素材がうまく
純粋に味わえる
それって
やはり素晴らしい
派手さは無いし、香りたつ鰹節とかの
わかりやすさでなく
一見ふつうの見た目なのだが
ふつうのようで、強烈なインパクトというものではなく
なんというか
静かな面持ちのその先
それぞれの奥の奥の素材のうまみがしっかりとしていて
なおかつそれらのバランスよく
お互いを引き立てあって、最高のそばとしている。
それは前回最初に食べ、不満だったポテトサラダもそう。
そばを純粋に味わったあと
ポテサラだけを食べたが
野菜のうまみがかなりしっかりしていることに気づく。
ふつうなのである。
ただ、ものすごい奥深いうまさ。
「このふつうを作り出せ」
と言われたら
かなり難しい、そんなうまさなのである。
出すぎず、引きすぎず
わかりやすさに逃げず
素材を活かし
抑えた中で、美味しさを出す。
そうそうできるものではない
甘みは抑え目で
そばにあった、ちょどよいツユにつけ
香りあるそばをすすりはじめたら
もう会話すら忘れる。
私の身体が本気で欲している、素直な味。
まじめで淡く、しかし凛とした強さを持った間違いの無いそば。
そのしっかりとした味の芯が
そのうまさが
心と身体を、素直にまっすぐにしてくれる。
満足して食べきり
蕎麦湯でさらに身中を洗い
甘い小豆のデザート
それで舌をさらに喜ばせて
そば茶で、最後のリラックス。
米農家の主人
明るい奥様など
そばだけでなく、ホント、人としての力をもらえる。
まさかこんなおいしいそばが食べられるとは思わない
田舎のコンビニ改装そば屋&簡易郵便局。
おいしかった・・・・・
こういうお店があるから
食べることを信じていける。
また来ます
PS.もちろん人によりますが
わたしとしては
純粋にそばを味わうのであれば
ポテサラの酸味や油が
ツユや全体の風味を減退させぬよう
ポテサラを最後に食べるのをお勧めします。
ポテサラのふつうだけどうまい味わいも良いので、ぜひご堪能を。
このポテサラをつまみに酒を飲みたい(^^;)
・その1
・その2
・その3 ポテサラは合わないよ・・・・
・権現蕎麦 800円
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