あの時間自分がいた場所で一人たたずもうかな。
田舎うまれなんで当たり前のようにある程度食材を備蓄し
古い家なんで
その日の気温から
何度設定で自動お湯沸きじゃないので
「あ、今日は何分ぐらいで湯沸くな」
とか
今年の冬のように
「カメムシ多いよね?」
とか
そういう
自己判断のある程度の危機意識、判断の当たり前とか
感覚的なことを大事にしていきたいな、と
『~がなきゃ~できない』
という、与えられてる選択肢での
保存や暖房や電気などの
必要なものへの依存に対し
自分でなんとかできる余地は残しておくことと。
いろいろあるけど
特に隣り合ってる県
隣県だけど
けして分かりえない
なんつうか
絶対的な傷の差
について、改めて思いたい。
もっと書くと誤解産む蛇足になるな。
ま、そんなところで。
蛇足をひとつだけ書きたいのだけど
お涙頂戴にだけは、しないでほしい。
最後に
誤解や無礼にもあたる言葉になるかもしれないですが
震災時
被災し、対応に追われ
放射能に悶々としてた友人に言った言葉で
以前
目の前で父親が死に掛けたときに
『即死じゃなかったら何とかなる』
この言葉が
自分の中に強くあったので
それを友人にも送りました。
不安だったりなんだりしても
今すぐに死ぬんじゃないならなんとかなるしできる。
これをもとに
だからといって感情にほだされることなく
また混乱することなく
しっかりとした自分で考え納得いく情報のもと
どこまで対応できるか。
生きてる人間だけの言葉。
田舎うまれなんで当たり前のようにある程度食材を備蓄し
古い家なんで
その日の気温から
何度設定で自動お湯沸きじゃないので
「あ、今日は何分ぐらいで湯沸くな」
とか
今年の冬のように
「カメムシ多いよね?」
とか
そういう
自己判断のある程度の危機意識、判断の当たり前とか
感覚的なことを大事にしていきたいな、と
『~がなきゃ~できない』
という、与えられてる選択肢での
保存や暖房や電気などの
必要なものへの依存に対し
自分でなんとかできる余地は残しておくことと。
いろいろあるけど
特に隣り合ってる県
隣県だけど
けして分かりえない
なんつうか
絶対的な傷の差
について、改めて思いたい。
もっと書くと誤解産む蛇足になるな。
ま、そんなところで。
蛇足をひとつだけ書きたいのだけど
お涙頂戴にだけは、しないでほしい。
最後に
誤解や無礼にもあたる言葉になるかもしれないですが
震災時
被災し、対応に追われ
放射能に悶々としてた友人に言った言葉で
以前
目の前で父親が死に掛けたときに
『即死じゃなかったら何とかなる』
この言葉が
自分の中に強くあったので
それを友人にも送りました。
不安だったりなんだりしても
今すぐに死ぬんじゃないならなんとかなるしできる。
これをもとに
だからといって感情にほだされることなく
また混乱することなく
しっかりとした自分で考え納得いく情報のもと
どこまで対応できるか。
生きてる人間だけの言葉。
コメント
コメント一覧 (4)
一年、早い気がしてます。
震災後
多賀城から帰ってきた友人の
やつれているけど
ぎらついてる顔と
どこかのんきなこちら側の温度差が
今も忘れられないものになってます。
地震関係の特番が多かったですね。
自衛隊の番組は多賀城駐屯地が出ていて、会社のすぐ近くの映像だったのであの日のことを鮮明に思い出しました。
忘れたくても忘れられない一日です。
書いて消しての文章になったけど
特番見ながら
自分の心も難しいなぁな感じ。
君の心にお疲れ様と
まぁなんとかやってこうやと。
地元からすりゃ関東のほうが
よほどだと思うことだったけど
婆さんが今まで生きてて初めてと
おびえてたのと
隣県のリアルタイムの映像と
そんときののんきって言える地元の姿と
その後の落ち着いてるけど
パニックになってる人のなんともいえない
文明になれたパニックと
なんとかなってくれ原発って思い
思い出したわ。
一年
一年かぁ。
気持ち的には法事に近いけど、決してこれで終わりではなくて。
去年の四月下旬~五月の連休あたりから、いわゆる「非常事態」ではなくなってきて、戻れるところから日常をゆっくり取り戻してその延長が今になるわけだけど、その頃からずっと心にあるのはランボー「俺の戦争は終わってない」というセリフ。
そして「living on prayer」という歌。
本当の意味で気持ちに区切りがつくのはいつなんだろうね。
「もう」一年。「まだ」一年。両方混ざった複雑な心境だけど、一年たったことを改めてかみしめ、発生直後の記憶が鮮明によみがえった一日でした。