以前の自室を掃除しててたら
昔の旅の写真がでてきて
懐かしく見てたら
エルサレムのダマスカス門前に落として
全部なくなってたと思ってた写真も出てきたので
思い出してまた書いたり。

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1997年7月のフンシンペック党とカンボジア人民党の軍隊衝突事件が終わってしばらくの時期

トンレサップ湖でロケットランチャー飛んできただのなんだのと話聞いたころの

ガンシューティングの写真。


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古いリボルバーとトカレフだったかな?
10発かそこらで当時5ドルくらい。 


懐かしい。

前も書いたけど

「ロケットランチャーや手りゅう弾はいいのかい?」

と聞かれたのを今でも覚えてる。


これも前書いたけど

まだトゥールスレン虐殺犯罪博物館の最後のあれがあれだったころ。

霊感なんかないし信じてない私だけど

いまだに、あの独房に入った時のまとわりつくような何か

悪寒は忘れられない。


(『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』は山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映されたので

 ビッグウイングのYIDFFのライブラリーでもみれるんじゃなかろうか?)

カンボジアの北朝鮮レストランあったので
行きたくて行って撮った写真。
ちなみにこの写真を撮ってくれた人のほうがかなり美人だった(^^;)

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ネパールカトマンズのボダナート。

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いまだにここは好きなところのひとつだぁ。
かなり昔にいったのに
かなり鮮明に残ってる。
また行きたいところの一つ。

エジプト、カイロの街中。

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タフリール広場の写真とか
撮ったけど、残ってたのはこれだけ。

いまはどうなってるのかなぁ。
路上に多く落ちてた注射器とか。

そのころ、ダイビングライセンスをとったところが
帰国して2週間後
いたましい自爆テロがあった。

イスラエル。

前にも書いてるけど
私、宗教好きの宗教嫌いなので(習慣?としてはいいけど絶対視や唯一神、盲信は大嫌い)
特に一度見たかった嘆きの壁と岩のドーム。
(※話はずれるが、しょせん中道もまた一つの道なり。
 手塚治虫の火の鳥の『太陽編』が好き。)

火の鳥 (10) (角川文庫)
手塚 治虫
角川書店
1992-12



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パレスチナ自治区ラマラと
行きたかったテルアビブの
イツハク・ラヴィンの暗殺現場。

聖墳墓教会は興味なかったのでスルー。

宿の下の飯屋。

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ここで1.5リットルの水買って
このファラフェルサンド、コフタ抜きばかり食べてた。

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あと自炊。

見たいものメインだと
ホント私って食事に目が向かないんだなぁと。
なんか普通の現地の食い物屋いっとけばよかった・・・。
あ、マクドはいったか。

でもこのファラフェルサンドうめぇんだまた。
ぜんっぜん飽きなかった。

宿のテレビでCNN映ってて
「Fuck'n CNN!!」
  って私に同意を求めてきたアメリカ人。

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夜の普通のエルサレムの住宅街。

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嘆きの壁へのゲートかな?

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奥に岩のドーム。
修学旅行なのかなんなのか
女学生多数。

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キッパを被らなければいけなかったので
用意してあった紙のキッパ被って。

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たぶんこれは岩のドームに向かう通路だったかな?
サリー巻いた家族がいたのが印象深かった。

カランディアの検問所越えて
たぶんラマラの写真。

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これも前にも書いたけど
当時まだ建設中だったアラファトの墓の道を聞いてるうち
なぜか地元の名士?
あと学生たち引き連れての大名行列になり
その歩きながらでの町の人との会話
町の人「お前は中国人か?」
わたし「アナ ヤバーン(日本人だよ)」
町の人「 日本人か、ようこそラマラへ(握手)
 中国人だったら殺してるところだった
 (↑これはホントに言われたこと、冗談でチャイニーズって言わずに良かったと心から思う)
と言われたのを今でも思い出す。

エルサレムからテルアビブいって
イツハク・ラヴィンの暗殺現場の寂しさを感じたあとの
帰りのバスターミナルにて。

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この兄ちゃんだったか
バスで私の隣の席で
本人抱えながら寝てたけど
倒れた銃ぐりぐり私に当ててたの。

最後に
だいぶ前の、タイ正月ソンクラーンのときの良い笑顔の写真。
なつい。

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防水カメラではないので
カメラをビニールに入れて撮影。

顔施。